さる、5月28日は記念すべき一日となりました。

こんな感じに・・・^^。最幸の笑顔で出航しまーす!感謝。
さる、5月28日は記念すべき一日となりました。

こんな感じに・・・^^。最幸の笑顔で出航しまーす!感謝。
「満を持して・・・」といえばかっこいいのですが、半年ぶりの更新です(汗)。大変お待たせ致しました。それでは元気に参りま~す!
「ひなたほっこ」③
1996年(創業)
☆創業場所の選択・・・「このまま東京で?or 生まれ故郷の香川で?」 私は高所ガラスクリーニングにおいての技術力では絶対の自信がました。その力をより活かす為に、物件は少ないが競合も少ない香川県を選択しました。
☆資金の調達・・・信用などまるで無かったが、商工会のお力沿いもあり、国民金融公庫(当時)から100万円の融資を受け、道具等を購入できる。(商工会に感謝です!)
☆人(仲間)を募る・・・仕事はゼロでも、東京時代の仲間「チカピー君」に声をかけ12500円/日×20日分の給与支払いを約束し当地に招く。後々、彼には初の社員として大いにご活躍を頂き、会社の基盤を共に築いて頂きました。(チカピー君に心より感謝です。)
☆社名の決定・・・当初はあまり社名にこだわりはなく、地元で一番規模が大きかった会社の社名にあやかりたいとばかりに「西日本ビルメンテナンス」と命名しました。
・・・当年6月 細々と自宅を事務所に念願の創業を果たしました。 つづく
新春を寿ぎ、ご挨拶申し上げます。
昨年は100年に一度とも言われる不況の波が、より現実的な形として私達の身近にも現れてきた 一年でした。しかし、「ピンチはチャンス!」と、スタッフの皆さん一人一人が前向きにとらえ、日々の業務の中で、精一杯努力して頂いたおかげで敢然と乗り越えることができました。
さて、2010年も外部環境は昨年以上に厳しい年となることが予測され、多くの会社が社会から、 その存在意義を問われて行くこととなるでしょう。まさに私達の会社が「本物かどうか」を試される 一年となるでしょう。
本物の会社とは、時代の変化や景気の浮き沈みには左右されず、常にそこで働く人々はじめ、お客様や地域社会から愛され続ける会社です。私は、働く人々から「ここで働けて幸せ・・・」と、お客様からは「金額云々では無くおたくで・・・」と、地域社会からは「頼りにしてます・・・」と言われるような会社に、エヌビーエムをしたいと強く思っております。
松下幸之助は言われました「売れない時は無理をして売るなよ。じっと我慢して力を蓄えるんやで。」と、又、ある方は「好景気は会社を育て、不景気は人を育てる時。」とも・・・。
その様な意味において、今年は「本物に生まれ変わるチャンス!」の年です。今まで忙しさのあまり、なかなか手が付けられなかった様々な事柄の改善を含め、今一度、会社の容(かたち)を整えなおし、つぎの成長発展に向けた基礎(底力)を養う時だと考えております。
今年一年、私自身がその先頭に立ち、臥薪嘗胆の思いで、スタッフとともにそれらの事柄をひとつ々成し遂げていきたいと思いますので、何卒宜しくお願い申し上げます。
本年もご多幸な年となりますよう祈念いたします。
多田まさひこ
「ひなたほっこ」 part②
平成7年・・・小生、あと一年で30歳を迎える年。相変わらず昼は「ガラス屋」さん、夜は「自称ミュージシャン」の暮らし。 当時、私は30歳を目処に、もし音楽で成功できなければきっぱりあきらめる!という覚悟をもち、大きな人生の節目を前に残す一年、背水の陣で音楽活動しておりました。オーディションには軒並みデモテープを送り、歌えるところであれば何処でも歌いました。しかし結果は・・・・。待てど暮らせど何処からもオファーは無く、才能の無い自分自身をとことん思い知らされる無残な結末となってしまいました。 若き日からの夢は儚く崩れ去り「これから何処へ・・・はたして何をすれば・・・」そう自問自答を繰り返しながら新たな夢を模索する日々の中、「ガラス屋」仕事に没頭しておりました。
そんなある日の出来事。いつものように相棒と二人で虎ノ門にある〇〇ビルの2階ガラス部分をブランコ作業で清掃しておりました。そのとき、「ねー!ママ!見て見て凄いよ、ほら!」と、明らかにブランコ板に乗りガラスを拭く私たち二人に興味を示す子供の声が聞こえてきました。振り向けば、私達と同年代くらいの綺麗なおかあさんが、小学生くらいと思われる男の子の手をひいてこちらを見ているではありませんか。私達は気を良くし、いつもよりオーバーアクションぎみに「坊主!大きくなったら、お兄ちゃん達みたく立派に・・・」とか何とか呟きながらニコニコと作業しておりました。その瞬間「〇〇ちゃん!あなたもしっかりお勉強しないと、あんな仕事をしなくちゃならなくなっちゃうよ!」と、母親の声が・・・。一瞬私達は凍りつき、作業の手を止め顔を見合わせました。そして相棒が一言、「くそ!悔しい・・・」と。又、こんな話もありました。ある日、とあるビルで日常清掃をしているおばちゃん達と仲良くなり、お昼休みに休憩室(地下のボイラー室)で一緒に弁当を食べながら世間話をする中で、「ここで働く大多数のおばちゃん達、実は家族には内緒でこの仕事をしているんだよ!」と言うのであります。私が「なんで内緒になんか?」と訊くと、「こんな仕事してるって人様に言える?」と聞き返されました。が、その時の私は、ただただ閉口するばかりでした。
「何かおかしい・・・。」当時、まだまだ社会的立場の低かったであろう清掃業界自体を目の当たりにし私の自負心は強く刺激され「どうにかせねば・・・。」という熱い想いが沸々と湧き出すと同時に新たな夢が目の前に浮かんだ。よし!ビルメンテナンス会社を創ろう!社員みんながプライドを持ち胸をはって「お掃除してます!」と言える会社を創り、未成熟な業界を底上げし社会に貢献しよう!という目標を掲げ。
思い立ったが百年目、脱兎のごとく私は創業に向けて走り出すのでした。
「世に生を得るは、ことを為すにあり」 by坂本龍馬
・・・つづく

㈱エヌビーエムも本年6月で無事13期目を迎える事ができ、おかげさまでたくさんの御縁にも恵まれ今日では222名もの方々が共に働く会社にまで成長いたしました。ここで新しくお知り合いになられた方々を含め、今一度、会社やわたくし自身のことをもっと知っていただきたい、という想いで今回から何回かにわけて''エヌビーエム創業からの軌跡「ひなたほっこ」を連載いたします。どうかご一読くださいませ。
多田雅彦
「ひなたほっこ」 パート①
元来私は、幼少の頃より近所でも有名な「ほっこのさいあがり※」でした。(ほっこ=香川の方言でダメ人間、さいあがり=ふざけ者です) 高校時代などは学校の勉強が大嫌いで、成績は最低(ほっこ)だったにも関わらず、一年生のくせに生徒会長でした。もともと世話好きで、人に影響をおよぼす事が快感だった(さいあがりの)私は、おおいに生徒会活動にて活躍させていただきました。さまざまな改革にも取り組ませて頂いたおかげで、友人からは「人気者」、でも先生たちからは「目の上のたんこぶ」と言われておりました。
卒業後、そのような性格が災い(幸い)した私は、趣味が高じてBigなミュージシャンになることを夢みギター一本かかげ、一路「花の都」東京を目指すのでした!!
・・・しかし、世の中そんなに甘くない。現実には四畳半一間、共同トイレのアパート暮らしで、食うや食わずの生活。それでも自称''ミュージシャン,,の私は夢の実現を目指しライブハウスや路上でつたない詩を必死に歌っておりました。 そんな売れないミュージシャンの私が、生活のしのぎで始めたアルバイトが「ビルの窓拭き」ガラス屋さんでした。 ビルの屋上からゴンドラや垂らしたロープに板を結わえて、それらに乗り込み窓ガラスや外壁をクリーニングする仕事です。高いビルの壁面から街を見下ろせば、遥か眼下に蟻のようにうごめく人たち、地上から5~60mともなれば案外静かなもので街の喧騒とはまるで掛け離れ、風の音さえ聞こえてくる。''気分爽快,,でも一瞬たりとも気が抜けない、常に危険と隣り合わせ。
このような仕事に、結果、足掛け10年近く携わっていく中で、いつの間にか私は「三つの宝物」を手にしていたのでした。
宝もの①・・・どんな形状のビルの窓ガラスでも安全に素早くきれいにする技術。
宝もの②・・・大変な現場作業の数々をチームワークでやり繰りしていく中で培った同僚たちとの強い絆。
宝もの③・・・「誰もが進んでやりたがる仕事ではないかもしれないが、必ず誰かがやらねばならない」という、ある種崇高な使命すら帯びた特別な仕事に携わることで「社会と繋がり、また、社会に貢献している」という自負心。
この三つの宝もの{技術力・友との絆・自負心}が今後、私の人生の転機において大きな意味をなしてくるのでした。
・・・つづく
新年あけましておめでとうございます。
本年も倍旧のお力添えを賜りますよう謹んでお願い申し上げます。
さて、皆様もご承知のように、本年は百年に一度ともいわれる経済不況の波が押し寄せております。
経営的に磐石と思われていた大企業ですら危機を迎え、何万人もの労働者が職を失うという厳しい
現実。まさに今までの価値観や既成概念は覆るほどの大変な時代の幕開けを私共は迎えてます。
しかし、私はその様な時代でもまったく悲観しておりません。比べるのは少々乱暴かもしれませんが
考えてみると、創業当時もバブル崩壊後でまだまだ冷え切った市場でした。しかも、"金なし・コネなし
・頼るものなし"の無い無いづくし(むしろマイナス)からのスタートでしたが、おかげさまで今日まで
成長することができました。それができた理由の一つに「苦難は自らを鍛える試練である」と前向き
に受け止める心と、そこから逃げずに真正面から挑んでゆく気持ちが、私自身のみならず創業スタッ
フのなかにあったからこそ、様々なピンチをチャンスに変えてこれたのだと確信しております。この
「ピンチをチャンスに変える力」は弊社の誇るべきDNAとして現在のスタッフにも引き継がれ、その
潜在能力たるや地元業界№1であると自負しております。
新たな年を迎え、私達は今一度創業の原点に立ち返り、決してダメな理由を取り巻く環境や、他人の
せいにすることなく、スタッフ一人一人が日々の業務の中で精一杯努力し、お互いに高めあう中に
こそ打開策(ピンチをチャンスに変える)があるのです。
新たな時代の幕開けを喜びを持って迎え、今年一年元気と笑顔をモットーに精進してまいりましょう。
そのキーワードは「前向きに」・・・。
親愛なるスタッフの皆様へ。 多田雅彦より 感謝。
暮れましてありがとうございました。
2008年もあっという間に残すところあと数日となりました。ブログの更新はひさびさです。おかげ様で毎日大変忙しくさせていただいており、充実した年の瀬を迎えております。これも一重にご愛好頂いておりますお客様方と、日夜休日返上で業務に対応してくれている従業員みんなのおかげと、心より感謝しております。
さて本年は百年に一度と言われる国際的経済不況に見舞われ、我が国の経済も現状を打開するだけの好材料を見出せぬまま新年を迎えようとしており、例外なく私共の事業運営もよりいっそう厳しい荒波にさらされることが予想されます。しかしながらこの事をピンチと捉えるかチャンスと捉えるかで将来がまるで変わってくるのではないでしょうか。
私は2009年こそ、このピンチを梃にし「希望の持てる未来」を築く為のチャンスの到来であると考えております。理由は・・・。(くどくなりそうなので今回は止めときます)
「とにかく前向きに、ダメな理由を決して他に求めず、ひたすら自らを磨き続け、今やれることを精一杯やる!」中にしか答えは無いように思います。
来年こそやったるでー!!皆様方、本年はありがとうございました。

"ドン♪デン♪ドン♪〟心地よい3拍子。待ちに待ったお祭り(ハレ)の日が訪れた。
隣近所の旦那衆、若衆。みんな寄り合い手分けして 「あーでもない。こーでもない。」と言いな
がら、太鼓台を組上げ・飾りつける。その傍らでは婦人会の方々が、おむすびをにぎり昼飯準備。
子供達は担棒にぶら下がって遊んだり、太鼓打ちの練習をしたり・・・。なんて楽しくて心和む光景だ
ろう。 ご近所付き合いが希薄になっていると嘆かれる時代、ここにはそんな言葉は思い浮かばない。
じかに太鼓台を担ぐ人だけでなく、多くの地域住民の方々の協力無しには持ち上がらないのが
太鼓台である。だからこそ太鼓台を天高く差し上げた時、人々は感動するのです。なぜならば、
それは地域住民の心が ひとつになる瞬間だから・・・。
感謝のきもち
ようやく朝夕も涼しくなり、田んぼの畦に彼岸花が咲く頃、どこからともなく太鼓の音が聞こえ出し、私の大好きな季節''秋''が到来した。五穀豊穣を願っての秋祭りには都会暮らしが長かった若かりし頃から、このときばかりは必ず帰省し太鼓台(ちょうさ)を担ぐ程の「ちょうさバカ」である。そして、お祭りには欠かせないのが、亡き祖母が愛情込めて作ってくれた甘酒とちらし寿司。この美味なる味が忘れられずに、今でもとても懐かしく思います。
今日はお彼岸、朝から家族を伴ってお墓参りに行ってきました。 毎月欠かさず墓参するのですが、今回はその様な季節がら、いつも以上に祖母の顔を思い出しながら合掌し、仕事で忙しかった父母に代って、私をとても可愛がり大事に育ててくれた事への感謝のきもちを伝えて参りました。
この世に生をうけ、今の自分があるのは祖先や、父母、先人達のおかげ。それは理由や理屈など抜きで感謝しなければならないと思っております。そこに感謝できないならば、今の自分自身をも否定することになり、そんな様では他人に感謝される人になど、とうていなれないように思っております。
まずは今、自分自身を取り巻く人々、モノ、環境すべてを謙虚なきもちを持ち、理由や理屈ぬきで受け入れ感謝する事。そのような気持ちを私だけではなく、社員ひとりひとりが自覚し、もって頂く事が今後、より強い互いの絆を築くうえで大事な礎のように思います。そしてそこからが、本当の意味で会社をよりよくしていく為のスタートラインだと感じます。
いよいよ待望のホームぺージをアップすることができました。ご訪問された方々に、エヌビーエムの笑顔と元気をお伝え出来れば最高かな、っと思っています。あとは、飽きることなく飽きられないように、決して無理をせず身の丈にあった内容とスピードで充実させていければと思います。何よりも一念無想の気持ちを大切に続けていきます。感謝。